ここ最近で2店舗ほど二郎インスパイア、あるいは亜流と呼ばれる店を続けて開拓しました。
一つは五反田の「豚とこむぎ」。もう一つは志木の「モッコリ豚」。
いずれも、以前からあるインスパイア系・亜流とはだいぶ趣が違って、かなりレベルが高い店が出現してきたという感じです。
豚とこむぎは「近所にあったら通うけど五反田じゃちょっとな…」レベルでした。
しかし、店構えと言い、女性店員といい、二郎イメージを覆すには十分な道具立てです。
トッピングでタマネギを選べるのは「大」風。
量は少なめだと思います。
一方、モッコリ豚はかなり感心しました。ハッキリ言ってハイレベルです。
麺が浅草開化楼の縮れ麺というところがオリジナル二郎では見られない特徴ですが、これはこれでアリだと思います。
スープはしょっぱめですが、化調と合わせたカネシ醤油ダレが、後味含めて実にいい。
豚も赤身部分が硬めだが脂身は結構ウマく感じました。
麺も野菜も盛りは十分(私は小で十分…小:麺300g、大:麺450g)。
ラーメン(二郎で言う「小」)+豚に無料トッピングのヤサイとニンニクを追加。しめて850円。
難点を言うなら、この主流に比べて高い値段と、なかなか進まない長い並びでしょう。
個人的には、インスパイア系の中では市原の「ちばから」に次ぐ高評価です。
それ以外でも、ここ最近、なぜか三田本店づいていて、毎週訪れています。
改装以来、なぜかウマいんだよねー(ブレが少なくなっている)。
久しぶりに新店舗開拓です。
ちょっと時間が経ちましたが、この5連休のなか日である21日に、これもまた久しぶりのツーリングついでに行ってきました。
ラーメン二郎 茨城守谷店。
過去、新店ができるたびに「完全制覇」を達成してきたのですが、去年~今年の新店舗ラッシュ。とても完全制覇が追いつかなくなっていました。
ここ最近では常に「リーチ」状態だったのですが、それが、この守谷店以来、今度はイーシャンテン状態に。一時期、長い休業状態にあった京成大久保店の制覇がまだだからです。
そして、今回の守谷店制覇によって、再びリーチ状態に戻りました。現在の全33店舗中、京成大久保店を除く32店舗を制覇したことになります。
ということで、18時の開店より45分ほど前に着いた茨城守谷店には、すでに4名の並び客が。
一緒にツーリングに行った仲間とダベっていれば45分などあっと言う間です。
わくわくしながら小ぎれいな店内に入り、ここ最近の定番である「小豚」の食券を買います。
冷水器が砕いた氷が一緒に出てくるタイプで新鮮。他店では見たことない装備です。
店長は…う~~どこかで見た顔だけど思い出せない。あとで調べたら、馬場の元助手とのこと。三田での最終修行時代のころにちょうど私は行ってなかったのだと思います。きっと。
よって、栃木街道や立川、大宮、千住大橋のように初来訪のときに店主から声をかけてくることはありませんでした。
開店後ほぼ4カ月も経つので、どんぶり出しの手際は十分。
並びから当然ですが、当日の第一ロットに当たりました。
トッピングはいつも通り「ヤサイニンニク」で。
ヤサイの盛りは結構良かったです。
麺の量は多くもなく少なくもなく。三田本店と同じくらいか、ちょっと少ないくらいでしょうか。
麺はヤワヤワでした。自分らのあとの客が「大小」聞かれる時に「硬め」コールしたところ、「すみません、麺硬めはやってないんで…」と。これはかなりマイナスポイントですな。ネットの二郎板などでもかなりヤワさが指摘されているので、ベースを硬くするか、硬めコールに対応するかすれば良いのに、何か店主のポリシーでもあるのでしょうか…?
スープは品川系と言っていいでしょうか。かなり乳化しています。ただし、乳化といっても脂の粒子が比較的大きくて「ちゃっちゃ系」を思わせる見た目です。品川系らしく、とても甘いスープ。これはこれで美味しいものです。
盛りの良い野菜は「多摩系」とは正反対の良く茹でて柔らかくなったもの。キャベツ率が高かった。
豚は比較的薄いチャーシュー風。脂もそれほど多くありません。これはあまり好みではありません。
全体的には、麺のヤワさと薄い豚を除けば、かなり程度は高いと思います。
しかし、ここ最近の新店(栃木街道、立川、大宮、千住大橋)とはちょっと傾向が違うような気がしました。馬場が母体ということもあるのでしょうか。
さあ次、京成大久保はいつ行けることやら。
早く行かないと、また新店ができちゃうよ~
自社製品間で市場の食い合いをすること「カニバライゼーション」という。
この言葉に囚われることほど愚かしいことはない。ウェブの店舗は本業(リアル店舗)を食うのではないかと考え、インターネットでのビジネス展開に二の足を踏む会社は、10年後には必ず後悔するだろう。
それは、経営者としての視点が圧倒的に狭すぎると言わざるを得ない。
「カニバる」…何度聞いたことか。何かっこつけて略してるんだか。そんな議論、よくされましたね…さすがに最近はダイレクトにそういう議論は無くなったように見えますが、実は現場の若い人に根強く残っていたりするのですよね。恐ろしいことです。
アナログの世界はビジネススピードも遅いので、ビジネス規模そのものがゆっくり小さくなりつつある。市場が小さくなっていくしか見込みのないところでビジネスを続けるのであれば、自ずとビジネスは先細っていく。
しかし、そんなアナログビジネスも、自分の人生分、あるいは自分の定年までは持つかもしれない―。そういうマインドを持っている経営者が、実は少なくない。日本企業の場合、本来は会社の将来を考える任務を負うはずのトップマネジメントが全員50代で、定年間近というのが現実だ。
だから、ウェブに対する無理解が生じて「とりあえずやっておけばいい」などという、金とリソースの無駄が大いに生じることになる。
ここはやはり、自分の社会人人生がまだまだ長い40代後半ぐらいの次世代スタッフに会社を任せてしまった方がいいと思う。…
まったく同感です。むしろ、なんでそんな当たり前のことができないのか、と思ってしまいます。
既得権益、既存のビジネス体系でやっている人が、ガンとしてやり方を変えようとしない。既存のやり方を効率化するインターネットが、その人の仕事をなくしてしまうかもしれないという恐怖感があるからだ。が、その人の仕事をなくしてしまうかもしれないという恐怖感があるからだ。
そんなに効果が上がるとわかっているウェブ広告に、なぜもっと企業が出稿しないのだろうか。
答えは意外である。広告担当者にとって、効果測定を見ながら、広告戦略を変えたりしなければならないのがとてつもなく大変だから。
(中略)
それに対して日本の企業は、広報部や宣伝部が広告出稿先の媒体を握っている。彼らからしてみれば、ワンショットの大きな案件を長時間かけてやる方が楽なのだ。
そうは言っても、「広告効果の有無」が明確にわかるウェブにはお金を出し渋り、効果が曖昧な他媒体に大枚をはたく。測定できないものに甘く、測定できるものにはひょり厳しくという企業の姿勢が、私の目にはとても不思議に映る。
経営者が、「常に新しいことに目を向けろ」という意味で、何か新しいことをやれと発言しているのであればまだいいが、自分には何のアイデアもないのに、ビジネスのアイデアを探してこいというのは、経営者が自分の会社を見限っているに等しい。
大切なのは、議論よりアサインメントを重視すること。リーダーを決めたらその人間とそのチームにできるだけ考えさせて、横や上からちゃちゃを入れない、その代わり責任も取らせる―というやり方だ。
権限と責任をきちんと与えなければ、新しい付加価値を持ったサービス、新しいサービスというものは生まれない。
ところが残念ながら日本の企業においては、その経営層が一番、インターネットリテラシーが低い。もっというなら、50代以上の経営者。
申し訳ないが、わからないなら早く下の人に任せてくれ、と私は言いたい。それが、会社に対する最大の英断であり、貢献になるのだから。
久しぶりのらーめんレポートです(って何書いても「久しぶり」じゃん、どうせ)。
今回は、横浜家系ラーメンも本流中の本流、吉村家直系の杉田家です。来店はこれで確か3度目かと。そして以前より噂は聞いていたけどいまだ食べたことがない「和風らーめん」をとうとう食しました。
二郎友が「これがウマいんだ」と保証してくれていたので、いつかは食いたいと思っていた一品であります。わざわざこれを食いに行って臨休にぶつかったこともありました。しかし、ようやくその想い、成就いたしました。
作り方は、どうやら普通のラーメンとほとんど変わらないように見えます。厨房を覗いていたら、最後の最後までほかのラーメンと同じ作り方なのですが、最後に梅エキス(?)を入れ、大量の鰹節をトッピングしておしまい、って感じです。
でも自分的には、その方が嬉しかった。そもそも家系のファンなので、せっかくの家系ラーメン店、それも本流中の本流の店で、家系と全然違うラーメンは食いたくないのです。家系の神髄から少しでも引き算してもらいたくない。足し算だけにしてもらいたかった。それをちゃんとやってくれた、という感じでした。
杉田家の普通のラーメンは、ほかの家系よりも少し塩気が強かったような覚えがありました。しかしこの和風らーめんは実にマイルド。梅のエキスがしょっぱさを押さえたのか、それとも以前よりスープそのものがしょっぱくなくなったのか、そこのところは常連じゃない私にはよくわかりません。
あ、ちなみに「お好み」は「麺硬め、味濃いめ」にしてあります。私の家系のデフォルトはいつもこれです。ただし、もちろん初来店の店では「全部普通」ですよ。
梅と鰹節を入れるだけで、ラーメン全体がここまでさっぱりした印象になるのは面白い。特に脂こってり、味しょっぱ!というイメージの強い家系ラーメンがここまで変身するとは! でも、ベースはしっかりとした家系の中太麺(杉田家は多少平打ちっぽい)の歯ごたえと鶏油の香りがそのまま残っていました。海苔もしっかりしてるぜ!
それとこの店の接客は実に良い。座る場所とかいろいろ気遣ってくれるし、挨拶もしっかりしてる。横浜家系は元気がなくちゃいけません。
ただ、ここは店内の券売機で食券を買ってから並ぶのですよ。だいたいの店が座る直前に食券を買うのと反対なので、ちょっとまごつきます。いつも何時でも並んでますね。でも二郎みたいに殺伐とした感じではありません。まあ、その殺伐さも好きといえば好きなんですけど。
最後に、その日、なぜか缶詰になって会議をした佐島マリーナの駐車場からのパノラマ写真を貼っておきます。
夏休みの課題その2です。
メディア関連新書シリーズということで、ちょいとメディアの本質に触れてみたくて朝日新書の「週刊誌は死なず」(元木昌彦著)を読みました。別に死ぬのは週刊誌でなくても良かったのですが、息も絶え絶えの紙メディアの行く末を見たくて即買いと。
著者は「FRIDAY」「週刊現代」の編集長を歴任し、講談社退社後は「オーマイニュース日本版」の編集長・社長となった人。業界では過激派で通った編集長とのことで、いろいろと話題を残して消えていったオーマイニュース日本版の編集長というところも興味を喚起されたところでした。
読後感は、タイトル通り「硬派」を感じさせるものでした。軟派と思われがちな大衆週刊誌の編集者たちが、スクープ記事をものにするために熾烈なバトルを繰り広げる…そんな内情を大手週刊誌の編集長自ら語るという内容です。一つ一つのケースが実に面白く描かれていて、特にメディアに関わる人はその生々しさをより身近に感じられるかも知れません。
また、いくつか引用しながら茶々を入れてみます。
部数は他誌同様苦戦しています。編集費が限られてくると、なかなか思い切ったことができない。これは事実でしょう。ただ、方法はあると思います。いまや失うものはない。守りの仕事をする必要がないという意味では、世間を騒がせるしかない(会場笑)。週刊誌の使命の一つは「世間を騒がせる」ことだと思います。復活の条件はこの原点回帰にあると確信しています。
これだけ読んでしまうと大衆週刊誌の身勝手さだけ感じてしまう人もいるかも知れません。しかし、本書ではそんな下世話な週刊誌がいかに世の権力と戦ってきてその成果を上げてきたか、いささか手前味噌的にですが、示しています。
逆に言えば今の世の中、世間を騒がせるパワーが足りないように感じます。「世間を騒がせる=悪いこと」ととらえ、よい子はひたすらおとなしくしている、そんな優等生ばかりが日本の中心にいるような気がしてなりません。もちろん、ただ単に騒がせれば良いというものではなく、巨悪を暴くために騒動を起こすというような確固たるポリシーは必要ですが。
また、先のエントリの本「2011年 新聞・テレビ消滅」と同様、メディアとしての新聞の救いようの無さがここでも…
最近、新聞が売れていません。当たり前の話です。もともと新聞など、5分や10分しか読まれていないんですよ。それでもかつて新聞代は、電気やガス代と同じ、「固定費」だと思われていた。これが「変動費」だとわかった時、お金を払う必要はないと考える人が出てくるのは、当然です。さらに広告も入らなくなってきた。ビジネスモデルとして、新聞は明らかに終わっています。
「明らかに終わっている」って言われちゃったよ~(泣) 「ネットにして有料化」という話もありますが、この論で言うと、それでも救われないということですよね。
さて、じゃあ雑誌はどうなのか?
雑誌の購入動機の一つは「暇つぶし」だったと思います。でもいま「暇つぶし」といえば、大体がネットや携帯。だから雑誌が今の形であり続けるのなら、ビジネスモデルとして終わっていると、僕は思います。
「ウェブはバカと暇人のもの」ということですね。ここでもバッサリ… でもB to Bは違うような気がします。
でも彼が本書で言いたいのはそういうビジネスモデルのことではなく「ジャーナリズムがどうなるか?」ということなんです。
新聞や雑誌のジャーナリズム性は終わっているのか。この議論なくして、再生の道はありません。ネットがどう頑張ろうとも、新聞、雑誌がジャーナリズム性できちんと勝負すれば、負けるはずがない。そこに立ち返れば、必ず再生するはずです。
そう信じたいところです。同じ業界の人間として。そして、そうしたジャーナリズムが世のためになる、世の人が必要としている、とも信じたい。今後とも。
でも、やっぱりビジネスを主催している人間としてビジネスモデルは気になるもの。ちらほらとビジネスにも話が及んでしまうのです。
ネットのコンテンツビジネスの基本は、お金をかけないで、少数精鋭。さまざまな知恵を絞って、「情報はタダ」という〝迷信〟を打破していくことから始めれば、必ず突破口は見つかるはずだ。
元木氏、有料課金モデル派なんだ。というか、あまり広告については言及していませんね。本書では。まあ、ジャーナリズムを論じる内容では広告論は不要ですものね。
あと、本書で印象的だったのは、現在の裁判制度がメディアにとって不利な部分が多いというところ。これは随所に繰り返し述べられています。特に名誉毀損裁判の挙証責任の在処については、再三再四指摘しています。
週刊誌は、その性格上、権力者のカネや下半身スキャンダルを扱うことが多い。書かれた彼らも、自分のダーティーな部分を暴露した週刊誌を目の敵にして、すぐに訴えてくるから、また告訴されたと思われることが多いのは事実だ。だが、そこには、今の名誉毀損裁判の挙証責任が、訴えられたメディア側にあること、取材源の秘匿もほとんど認められず、匿名証言であっても、その発言した本人を法廷に出さなければ、勝つ見込みがないことを、国民のほとんどが知らないからだ。
私も訴えられて被告になった経験があるからわかるが、名誉毀損裁判では、裁判官は最初から「メディアは有罪」という予断を持っているとしか思えないのだ。
のほほんとした生活を送っていると、こんな裁判制度の穴など気づきもしないのだが、さすがに雑誌編集者というのはかくあるべきという修羅場経験者であるのだなぁ…とただ感心するばかりな自分51歳が情けない。
それにしても、こんなジャーナリズム論がほとんど聞こえてこない(私の周りだけ?)雑誌出版社っていったい何なのだ?という気もするのだが……
思えば、中川淳一郎の「ウェブはバカと暇人のもの」(光文社新書)を読んでから、ちょっとそっち方面の新書が無性に読みたくなってしまっていたのです。夏休みでもあることだし、しばらく課題図書(もちろん自分で決めた課題)の読破に精を出してみるか。
出版社の人間として恥ずべきことなのですが、「バカと暇人」は自分で買わずに人から借りて読んでしまってます。もしこの本を単に書店で見かけていただけだったら、たぶん買わなかったと思う。推薦してくれた人が信頼に足る人だったから読んだ、というだけのことでした。最初は。
で、面白かったんですね。これが。
あ、でも、このエントリはその本が主目的じゃない(右→の本が主目的)から、その話はここまで。メインは「2011年新聞・テレビ消滅」(佐々木俊尚著、文春新書)の方です。
で、この本もそのタイトルのスキャンダラス度とは相反して面白かったんです。もう私はタイトルがいくら釣りっぽくても、それに左右されずに本を選ぶことにしました。
いつもながら、内容を云々するよりも本書よりの引用を主体にしましょう。一つ一つの引用が多少長くなってしまうことをお許しください。
もうひとつのマスメディアの構造的問題は、メディアのプラットフォーム化が進んでいるということだ。
プラットフォーム化というのは、どういうことだろうか。
(中略)
グーグルの及川卓也氏は、これを「コンテンツ」「コンテナ」「コンベヤ」という三つの層(レイヤー)に分けて説明している。コンテンツは記事そのものでコンテナはそれらの記事を運ぶ容器、そしてコンベヤは容器のコンテナを配達してくれるシステムだ。
本書では、以降この「3Cモデル」を背骨として旧来のメディアが衰退していく(であろう)様を詳説していくことになります。ビジネス上理想的なのは三つのCすべてを1社が牛耳ることですが、それが不可能となった現在、せめて「コンテナ」を握ることがビジネス上の勝者となり得る条件の一つであると言います。
例えば佐々木氏が言うには、新聞がもっとも救いがないらしい。
何をしたって、助からないものは助からない。コンピュータの時代がやってくれば紙のマスメディアが成り立たなくなるなんていうことは、実はアメリカではもう何十年も前から予測されて議論されていたが、これまで「こうすれば生き延びられる!」という結論が出たという話は一度も聞いたことがない。
もう紙のマスメディアは「さようなら」なのである。
じゃあ誰が報道という神聖な役割を引き受けるのかって?
その話は最後の第4章でじっくり語ろうと思っているが、ここではひとことだけ。
「報道を行う主体が、マスメディアでなければならないなんて誰が言った?」
本書冒頭で構造的であるとする「『マス』が消滅し始めていること」の一つの事実確認でありましょうか。
面白いのは、ほとんどすべての業界人がこの事実に気づいているものの、いまだそれを正面から認めないことです。新聞人は何らかのかたちで「マスメディア」が生き残れると信じ続けています。誰かが言ってましたが、「このまままた景気が戻って商売が何とかなっちゃうのが一番怖い。完膚無きまでにつぶされた方がいっそ新しいモデルの構築が進み易い」というのは、ある意味、真理でしょう。
新聞に比較して「雑誌はまだ良い」と佐々木氏は言います。それは、雑誌がそもそも「マス」が相手ではないからです。ターゲティングされているところに生き延びる(それでも「生き延びる」レベルなんですが)可能性が残っている、と。それを聞いて、雑誌社の人間として少しホッとしたりして…いやいや、そうも言ってられないでしょう。
総合週刊誌のようなマスメディア化した一部の刊行物を除けば、雑誌はもともとミドルメディアであり、インターネットの時代と最もマッチしやすいコンテンツ資産がある。前に紹介したR25やニューズウィークのように、徹底的なマーケティングリサーチを行って、必要なコンテンツが必要とされる読者に届くような仕組みをきちんと作り上げることができれば、ビジネスの再構築は十分に可能である。おそらく出版社の再生を最も阻んでいるのは、編集者たちの旧態然とした考え方である。意識改革が今こそ必要だ。
そして、彼はテレビもバッサリと…。そりゃそうですよね。今まで我が世の春を謳歌してきた最大のメディア「テレビ」がこのままでいられるわけがない。というか、すでにもっとも被害甚大なのはテレビ業界なのですから。
ただ一方でテレビの世界にはこんな可能性も残されていると…
次世代のSTBは、次のような役割を持つ。
①地上波やケーブルテレビ経由、ブロードバンド経由で受信した番組コンテンツを、パソコンなどを介在させずにまとめてコントロールできる。
②そのように受信した番組コンテンツを、大画面テレビやゲーム機、パソコン、携帯電話などに振り分け、それらの機器で見られるようにする。
③番組に広告を配信する機能を持つ。
④有料コンテンツの支払いなどを決済できる機能を持つ。
そしてこの次世代STBを握った企業こそが、間違いなくテレビというメディアの最強のプラットフォームになる。そしてこのプラットフォームが現れたとき、従来のテレビ局は完全にコンテナとしての役割を喪失し、プラットフォームから引きずり下ろされる。
もちろん、さまざまな企業がここを狙って動き出していることは間違いない。アップルしかり、マイクロソフトしかり、ソニーしかり…
それでは旧来のメディア(特に新聞社)はもう滅亡の道しか選択肢はないのか…。そこに対する解は…
じゃあどうやって生きていけばいいのだろう?
道は二つだ。プラットフォームとなるか、それともコンテンツ提供者と割り切るか。
前者は茨の道だが、果実は大きい。後者は果実は小さいけれども、より堅実な道のりだ。
ここ、私はまったく同意見です。
「小さい会社としてならば生き残ることができる」。そう常々思ってました。
でも今は業務上、「茨の道」を選ぶことがミッションとなっています。…というといかにも「やらされてる感」がありますが、大いに意気軒昂にそう思ってる最中です。
でも、そのためには過去の資産をすべてぶっつぶす覚悟でいないとダメだと思っています。果たして私ごときが、いや我らがグループがそんな大胆なことをできるのだろうか…。不安で一杯な現在です。
最後になにより共感を得たのが、佐々木氏があとがきで「クライマーズ・ハイ」(横山秀夫著、文藝春秋社)を持ち出してきたことでした。彼自身、元は毎日新聞社の事件記者であり、決して旧態然としたメディアのあり方を好きで否定しているわけではないことを述懐しています。
まさに「古き良き時代」。
先端を読みつつも、悲しみを持って良き時代を振り返る著者に、共感とともに信頼感まで持ってしまいました。
久々の感動でした。
世界の頂点を行くmotoGP観戦でも経験したことのない感動でした。
ただ観てるだけとは違い、クルーとして参加してる分、感動も大きくなったのだと思います。
チームのライダーがスズキGSX-Rワンメイクのクラスで優勝。
同じくもう一人のライダーも3位入賞。
それも最終ラップでの逆転優勝というドラマチックな展開。
スタートで出遅れ、中盤からの怒濤の追い抜きで順位を徐々に上げ、終いに独走態勢だった1位ライダーに追いつき、そして最終ラップのドラマへ…
もう一人の方も、怒濤の追い上げで一時優勝のチーム員と絡むシーンまで見せ、レースを盛り上げてくれました。
このほかのライダーも別のクラスですが優勝だったり、速すぎて章典外になったりと、チームとして実に楽しいレースとなりました。
私自身、ミニバイクでは毎年筑波でレース参戦していますが、大排気量での参戦は過去1回のみ。
フリー走行で通い詰めた時期もありましたが、ここ2~3年、ライセンスを更新するばかりで一度も走ってなかったりします。
ピットクルーとしては結構行ってるのですがね。
しかし、このレースを観て、しみじみと筑波をまた走りたいと思いました。
それもミニバイクではない普通のバイクで。
筑波ってやっぱりいいなぁ。
桶川や岩井といったミニサーキットも楽しいし、もてぎもGP気分を満喫できるので良いのですが、やっぱりサーキットの原点は筑波なんだよなぁ。
でも、バイクが無いんですよね。ミニ以外。
まずバイクを調達しないことにはなんともならない。
再びの夢に向けて再始動しますか。
がんばろっと。
嗚呼、何度リーチして何度再制覇してきたことだろう…
もう覚えていません。
そう、新店舗ができる度に再制覇しなくちゃならないのです(泣笑)
昨年8月、大宮店がオープンしてからはや半年近く…
ようやく食べに行くことができました。
決して遠いところじゃないんですけどね。
でもこれ、「再制覇」じゃなくて「再リーチ」なんですね。
なぜなら、そうこうしているうちに、休業中(二郎遍歴を始めたときにすでに休業していた)の京成大久保店が昨年9月に再開してしまったから。
千葉は遠いなぁ…と思いながらの再リーチではありました。
し、しかし、肝心の写真が撮れてなかった…orz
大宮の歓楽街のど真ん中にある二郎は、結構美味しかったですよ。
麺は平打ちの太め、縮れはまああったような気が。
スープは乳化度高し。甘みの強い味。
野菜は増しにすると結構多め。もやし率は高く、シャキシャキの多摩系っぽい。
豚はまあ普通かな。
総じてうまい方だと思う。近所にあったら確実に通うな。
ランク付けすれば、SとかAではなくAダッシュかBプラスかな。
笑えたのは、日曜の昼間営業時(平日は夜営業のみ)にシャッター(昼12時オープン)で行ったのだけど、そんな時間まで客がいたホストクラブがあるのね。
並んでいると、遠目に若めに見える女性がホスト二人に挟まれてそばを通過していったときに、その女性が「ここって美味しいの~?今度来てみたい~」ってホストにねだってやんの。
食えるもんなら食ってみろ!っての。
で、近くでみたら、すげーおばーちゃんでやんの(爆)
写真が無いのは寂しいので、同じ麺系ということで二枚貼り付けておきます。
一つは、ようやく行った亜流の「ラーメン神田」。
もと二郎の看板を掲げていたけど、訴訟に負けて「二郎」の字を消してます(笑)
虎ノ門と新橋に同系列があります。
でも結構うまいよ。亜流と思えば。
もう一つは、予想外にハマった「ティーヌン」のトムヤムクン麺とグリーンカレーのセット。
トムヤムクン麺もうまかったけど、グリーンカレーが秀逸でした。
またすぐ行きたい!
って、別に上海で書いてるわけではないんですがね。このブログ。
昨年後半より仕事の関係で頻繁に上海に行くようになりました。
それまで中国本土には一回も上陸したこと無かったのに…
で、結論。
上海って最高です。
理由はともかく、私、骨を埋めてもかまいません。
あとは先日出張の写真集(?)でお茶濁します。
行きの飛行機から見た富士山と南アルプス(たぶん)です。
これはキレイだった。
キレイすぎてなんか作り物みたい。
上海随一の繁華街、南京東路。
旧正月(春節)直前のため、多くの買い物客で賑わってました。
何度か入ったことのある服屋にはたくさんのど●えもんが…
当然、許可取ってないですよねぇ…
上海市内の有名な観光地「豫園」にある、これまた有名な小籠包屋さん「南翔饅頭店」。
見たことある人もいるかもしれないけど、ストローでスープを吸う、すでに「小」ではない小籠包。
ちなみに皮は大したことありません。
ここの店舗システムがふるっていて、1階はテイクアウト店で超安い。でも休みの日などは死ぬほど並びます。
2階に上がると庶民的なテーブル席が並びますが、ここもかなりの混雑。空きを待つならかなり待ちを覚悟しなければなりません。
さらに3階に上がると、それなりに並びが少なくなりますが、店内は「高級中華店」の様相を呈してきます。
階段上がって右側のテーブル席はそれなりの値段ですが結構並んでる。
左側はぐっと並びが少ないけど、もうどう見ても高級中華料理店。値段も推して知るべし。
そしてさらにさらに(笑)、高い料理(一人あたま120元以上)を注文すると奥に連れて行かれ、静かな環境で美味しい小籠包をいただけます。
でも、またその奥に広間が…
ホント、「どんだけー」って感じですわ、中国商法(笑)。
気の早い上海の人たちは、春節の1週間前というのにもう花火大会。
豊島園並みに上がってました。
派手にライトアップされているのは黄浦江の遊覧船です。
う~ん、このブログの佐々木さんは好きじゃ... read more
on 想像以上に硬派―「週刊誌は死なず」